エステティシャン / サロンオーナー

市川 杏子

Ichikawa Kyoko

三重県出身、名古屋育ち、一人っ子。

9歳の時に両親が別居し、その後離婚。母親と二人暮らしで育ちました。

高校卒業後、23歳の時に、同じ会社で出会った8才年上の男性と結婚し、専業主婦になりました。

そして、結婚生活のほとんどを専業主婦として過ごしました。

27才で長男を出産した時、出産時の事故(胎盤早期剥離)で母子共に危険な状態になります。

私は無事回復しましたが、長男は生死の淵を彷徨っていました。

なんとか命は繋ぎ止めたものの、重い後遺症で寝たきりの植物状態となってしまいました。

そこから4年半は、自宅で医療行為を行いながらの生活です。

長男の看病で毎日没頭していました。なぜ4年半かと言いますと、4歳半で長男が他界しました。

長男が4才半という短い命を閉じた後、残された次男を育てながら、長男と同じような重い障害のあるこどもを持つ、母親の少しでも力になれたらと思い、障害児施設でボランティアをしていました。

三男を出産してからは子育てを楽しんだりしあわせな日々を過ごすことが出来ました。

当たり前の生活が決してそうではない事など色々な事を長男から教えられたように思います。

3人の男の子を出産し、私は母親業に没頭していました。

でもそれも束の間で、長くは続きませんでした。

長男が他界してから、夫が段々と仕事中心となり、仕事のストレスから精神的に不安定になっていきました。

そこから少しずつ夫婦の溝が深まっていったのだと思います。

そんな中、子育ても少しずつ楽になってきた事から、自分自身の自立を考えるようになりました。

きっと夫婦の溝を感じていたのも大きかったと思います。そんな私は専業主婦を辞めて仕事を始めました。

そして、昔から美容は大好きだったので、好きな仕事をして自立したいと思い、リンパマッサージ、骨盤調整の勉強をして資格を取りました。

出会いの中で、エステサロンでアルバイトなどをしながら、仕事をしていました。

それから夫との関係が急速に悪化し、修復不可能になってしまったと感じました。

こどもの事を考えると別居しかないと決意し、一年後の三男が高校一年生の時に離婚しシングルマザーとなりました。

そこから、2017年に姪浜のマンションの一室でプライベートサロンをスタートさせます。

その後、コロナ禍とサロンマンションの建て替えに伴う立ち退きが重なり、姪浜のサロンは閉めることになりました。

2年間、天神のエステサロンで仕事しつつ、レンタルスペースで既存のお客様への施術を続けてました。

2022年、こども達がそれぞれ自立することになり、一人暮らしになるのを機に、プライベートサロンをスタート。

海の近くの静かな東区の自宅サロンで、一人一人のお客様とじっくり関わるような至福の癒しエステを提供しています。